考える自由『あたまの鍵』

ニュースでも仕事でも見聞き体験から何かを思うことがある。調べようが調べまいが思ったんだからしょうがないじゃん!パソコンとかメカいじりとか・・・

自立して欲しいのか、従順な部下が欲しいのかハッキリしたほうがいい。

「その位の判断は自分でしろ」

「何でも俺に頼らずに自分の意思で考えろ」

「自分だけで勝手な判断をせずに相談しろ」

「言われた通りにしないで、自分たちで勝手に判断するな」

全て同じ人物の口から出た言葉である。

話の前後がわからなければ、なんのこっちゃという話なんだが、ここで言いたいのは部下をどういう方向に向かわせたいのか迷走しているリーダーが多いという話だ。

自立した部下が欲しいの?従順な部下が欲しいの?

どちらが欲しいのかハッキリと決めて接しなければ、どちらにも育たない。

また、部下の性格の違いもあるで指導の方向性を間違うと力を発揮させることが出来ない。ただ極端な決め付けは部下の可能性をつぶすので上司は部下の将来も左右するほどの影響力がある立場であることも理解しなければならない。

だが、ここで言いたいのは指導方針を定めもせず感覚だけで部下と接する上司がなんとも有害であるという事だ。

三者視点の欠落と自身のリーダー論がない

大別すると部下の使い方は二通りだろうか。

  • 自主性に任せて自由に動いてもらう
  • 自らの指示に忠実に動いてもらう

前者では信頼し任せることが必要だし、後者にあっては常に指示を出し与えた任務を遂行することに集中させる事が必要になる。

リーダーのタイプも様々で、どちらかに特化したタイプのリーダーもいれば、両方を上手く使い分けるタイプもいる。これらにどちらが正義かという優劣はないが、状況による優劣はあるだろう。

問題なのは、どちらにもなれないリーダーだ。

元々の性格由来で自然とリーダーとして振舞う方もいるが、本物のリーダーは自分が何者であるかを理解し、第三者の視点で己を見ることができる。

良いリーダーはリーダーという自覚を持ち、リーダーとして自分はどうあるべきかという指針を自分の中に持っている。しかし、その指針を妄信はしない。ぶれないという事はリーダーに必要な素養の一つではあるが、「変われない」「認めない」とは違う。”王道に王道なし”とでも言うのか、リーダー像も模範はあれど王道など存在しない。自己を第三者の視点で俯瞰することはリーダーに必要な能力だ。自らの行動に疑問を投げかけ、是非を問う別人格を自己の中に構築する必要がある。そうすることで積み重ねた物がリーダーを強いリーダーへと変えていく。

冒頭の迷走しているリーダーとは、指針も第三者視点も持たない者だ。

自らは仕事ができるタイプに多いのではないだろうか。

自らは仕事ができるが故に部下のやり方や考え方が理解できずにイライラし、指導の仕方も事細かに指示する、例えばプロセスにまで口を出すような方向になる。これだけならワンマンタイプのリーダーとして成立する道もあると思うが、漠然と部下を育てようとか部下にも自分と同じような働き方を要求しだすと手がつけられなくなる。働く理由も働き方も千差万別であることを理解しないといけない。

部下に対して自分のやり方しか認めない言動が多い反面、事あるごとに自主性を要求する。自分の判断で動けば叱られ、逐一報告をすれば小言を言われる。これでは部下も何をすればいいかわからず。結果として何もせずにハイハイ言ってるほうがマシということになる。

こうしたリーダーは、もはやリーダーとして機能していない。何が欠落しているのか、まずリーダーとしての自論がないのだろう。単に仕事ができる人間が立場を与えられただけという状態なので、そもそも上司として自覚はあってもリーダーとして、どうやってチームを引っ張って行くかという部分においては考えが足りない。

また、リーダーとしての自分を計る物差しが自分との比較でしかない。リーダーとしての自分を部下からの視点や関係ない第三者としての視点で眺め自己評価していく感覚が圧倒的に欠落している。

リーダーを育てる。リーダーも勉強を。

名プレーヤー名監督に有らず。

スポーツの世界で良く聞く言葉だ。

これはビジネスの世界でも同じことが言える。優秀な成績を収める者がリーダーとしても優秀かは全く別の話である。

しかし、スポーツの世界よりも随分とシビアな問題だろう。

スポーツの世界ならば有名プレーヤーが監督をするという事はファンが求めているからという一面がある。つまり、集客効果があるのだ。

しかし、ビジネスの世界ではそうは行かない。

どうすればいいのか。

リーダー自身が勉強を始める事から始めなければならないのではないだろうか。

別に優秀な成績を収めたものが出世することに対して異論があるわけではない、しかし出世の後にリーダーを育てるという体制や体質がその企業にあるのかというと残念ながら期待できないだろう。

もう少し正確に言うと、有るか無いのかハッキリしない物に期待するくらいなら自分で何とかするしかないような気がする。

しかし、この考えが本末転倒であることも理解はしている。

リーダーとして無自覚な者が外部からの力なくして変わるとは思えない。

こうした者を変えようと思ったら、強烈な体験か他者からの指導、はたまた人材育成を評価に盛り込むといった会社としての制度が必要になるだろう。

だが、何度も言うようだが期待できない。

だから自分で勉強して欲しい。

勉強し、立派なリーダーになり。人を育てて欲しい。

すごい困難な道ではあるが、部下と一緒に成長するのは凄く楽しい。

たまに部下の言葉に感動を覚える事もあるし、見てくれる人は見てくれてる者で下の者が育っていることを評価してくれ声を掛けてるくれる上司もいる。人にもよるのだろうが、自分には個人で出した評価よりも、そうした評価のほうが百倍うれしいのだ。

同じようなこと考えてる人、場所は違うけどがんばろうぜ。