考える自由『あたまの鍵』

ニュースでも仕事でも見聞き体験から何かを思うことがある。調べようが調べまいが思ったんだからしょうがないじゃん!パソコンとかメカいじりとか・・・

人材の育成の肝は金と暇

これはこうすべきなんて大層なことじゃない。

巷には人材育成の方法なんてもんがあふれてが、暇と金が肝なんて方法論はあまり眼にしない。

これは万人に通じる方法じゃないと思うし必ずしも会社に利益をもたらす効果が現れると限らない。もっとも万能な方法があるなら誰も苦労しないわけだが。

極端に休みが少ない業界、そしてそうした会社に身を置く経験とそれを傍観するような立場にいた経験から思うことがある。

休みというのは適度に与えなければ生産性や作業効率の低下を招くと思っている。これは一日の労働時間にも言えることだ。

それと同じで休みが少ない、一日の労働時間が極端に長いというのは能力の成長に影響を及ぼすという考えが最近の俺のトレンド。

こういうと休みがあれば自己啓発的なことにも時間が割けるといった発想をしたりするが、自分の考えはちとそれとは異なる。もちろん現在・未来に必要と思う事柄に対して勉強する時間に割くこともあるのは否定しない。

自分が思っているのはそれほど堅い事ではなく、趣味・遊びに時間を割くことで使える人材が育つという可能性の話しだ。

 趣味と実益なんて言葉あるが、人間興味の無いことには積極的にはなれないもんだ。例えば身近な人間を思い返してみると、特定の分野にやたらと詳しいヤツってのはそうした分野に元々関心のあるやつ、そうした遊びをしていたやつって事が多い。

もちろん仕事上の経験って場合もあるが、同じ経験持ちや職場でも頭1つ抜けてるやつは居るもんだ。

車とかバイク、パソコンなんてのは割りと身近にあるから解りやすいと思う。そうした事に詳しいやつってのは普段から自分で車をいじるのを趣味にしてたり、パソコン使って色々やってるやつだったりする。

好きだから勝手にやるし詳しくなるって事だ。

一見仕事と無関係と思われる知識や経験もそれが微力であるにしても肥やしになっているということもあるだろう。

で、最近思うのは人に金と暇を与えるという事が仕事の範囲では得られない知識と経験の獲得機会の創出に寄与するという考え。

その為に金と暇を与えようと言うのは流石に躊躇するが結果そういうこともあるかも知れないねって事で賃金アップとか休暇の増加を行為的に捕らえてみるのもいいかも知れないよねって話がしたかっただけ。

今日はこれまで。

チャオッ!