考える自由『あたまの鍵』

ニュースでも仕事でも見聞き体験から何かを思うことがある。調べようが調べまいが思ったんだからしょうがないじゃん!パソコンとかメカいじりとか・・・

自分の世界だけで話をする人に疲れるときがある。

人間だれしもが自分の考えを持っていた自分の価値観を行動原則として生きている。

それは解る。

しかし、あまりにも自分の考えを唯一絶対の価値観であり共通の常識と言わんばかりの話し方をする人が居ます。

そういう人と会話をするとき、非常に面倒くさいと感じてる自分が居る。

自分以外の価値観の受入を感じないと疲れる

あぁでもない、あれはおかしい、こうあるべきだ・・・

自分もそういう話は嫌いじゃないが建設的な会話をしないというか柔軟な受入が全く無い人は疲れる。

自分の場合は単なる愚痴だけの場合はまぁ大丈夫。

でも、自分の価値観を基準にして他を前面否定のケースがとにかく疲れる。例え言ってる事が正しくても疲れる。

なんか、一方向のみの考えって聞いていて疲れるんですよね。

仮に試しに全く真逆の考えをぶつけてみても、そういった人は受け入れる事がほとんど無いので疲れる。

例えば仕事なんかの話だと

仕事というのか会社の人間模様というのか・・・

仕事や会社での生活ってのは自分を出すだけでは成立しない部分がありますよね。

会社での生き方ってのは人それぞれ、その人が欲しい物や守りたい物(者)によって変わってくると思うんです。

手に入れた権力を横暴なまでに振りかざす人が居ても、ひたすらゴマすりをする人が居ても、何もせず気配を消す人が居ても・・・

別におかしい事ではないと思っています。

おかしいと思っていないというか、色々考えていけば理解は出来ます。

例えば権力を邪魔されずに使えるって気持ちいいんだろうな~

とか

家族が居たらゴマ擦ってでも生き残らないといけないんだろうな~

とか

人それぞれに価値観もあればおかれた状況が違うのですから、まぁ起こってることですし、それは有り得ることなんですよ。

まぁ成否はともかく理解はしてるんですが、理解と承認は別ではあります。

ですから、自分の価値観のみで話す人の感情も解らんでもないです。

自分の考えの方向性が一つって事なんだろうから、それは素晴らしい事なのかもしれないとも思います。

でも、他への理解が無い主張というのは会話しているというよりも一方的に愚痴聞かされてる感じがあるんですよね。

たぶん自分が遭遇したそういう人物は考えがシッカリしてるというよりは自分の事だけを第一に考えて話す人が多いですし、感情的であったりします。ですから会話の中で他を全面否定したりするんですよ。

一応断っておきますが、自分は疲れるって話ですからそれが駄目な事だとは思ってないです。

ただ、この人は今の自分の条件だけで話しているんだろうなと感じるんですよ。『自分が否定している人と自分が同じ立場になった時にどう思うんだろう』とかって思考が決定的に欠如したまま話をしている気がするんですよね。

だから結局、別の価値観を持った人が違う意見をぶつけても結局受け入れてもらえることは無いという状況なんです。

今回の記事は落とし所なんて無いですよ。

単純に自分が思ったってだけで会話してますから、じゃぁ煮え切らないまま記事を閉じます。

ごきげんよう。